何事に対しても、まずそのものの中から何かの興味を見出すか、またはつくり出すかして、どんな興味のないものに対しても、必ず意識を明瞭にして応接する習慣をつくるようにする。もっとわかりやすく言えば、何事を行う際にもけっして「なに気なしに行わぬ」ことを心がける。...
 心のなかに常に正しい向上の希望をもたない人間は、流れない水に等しく、その人生に何の変化もなきゃ、また運命のごときも何のことはない、蓋をした壺のなかに入れておかれるのと同じで、さらに少しの意義も発揮しない。...
 「実行」ということがおろそかにされると、どんないい方法を聞いても、その理解がリアライズ(現実化)されず、リアライスされないと、結局、空中に楼閣を描いた結果になってしまいます。...
 常日頃、気を散らさないで物事を行う心がけを実行してますと、習うより慣れろで、どんな複雑なことに出会っても、いつもはっきりと澄みきった気持ちで何の渋滞もなく、片っ端からばくばく片付けていけるようになる。...
 私がこんな研究しにくい学問を研究したのは、科学の研究と違って、哲学の研究というのは主観断定の論理思索ばかりですから、文献考証もなきゃ、ただもう考えて考えて考え抜いていくだけの努力だ。それを未だに捨てないのは・・・・・・七つのときでした、花合わせの札でもって、小野道風が傘をさして、蛙が柳に飛びついてるところの絵を見て、いつも不思議に考えた。子供だから何だろうと思って。  それで母に聞いたら、小野道風という人はお公家様なのに、字が下手で、学問がなくて、歌が下手、悔しいけれども、生まれつきできないんだと諦めて、ある日、雨上がりの庭を散歩していると、蛙が柳の葉に何べんも飛びついちゃ落っこって、ばかな蛙だなと見ているうちに、何十回かの後にヒョイと飛びついたのを見て、あっと思った。  それから一生懸命に、倦まず弛まず屈せず、歌道に精進し、書道に精進して、ついに日本一の人になったっていう話を母に聞かされたことがあるんです。子供心というものはありがたいもんだね。  こういうことを研究し出した後も、時によると、もう駄目だと思うことが何べんかある。けれど。ヒョイとすぐそれを思い出す。
 今日の人々は、いたずらに知識のみに重きを置いて、そして知識を増すこと、磨くことばかりを努力していて、「認識力の養成」ということをおろそかにしている。...
 人間というものは男女の別なく、いかなる場合にもその人生に生きる際、慌ててはいけないのである。...
 物質本位の実利主義者は、「時は金なり」というこの言葉に心からの共鳴を惜しまないであろう。しかし、金は失っても取り返すことはあえて不可能ではないが、時はいったん失ったら現在の意識に戻って来ない。  ...
 いろいろなエラーやミステイクを承知してやる奴はいないだろう。知らずにやってしまう。忘れ物ひとつだって、はっきり覚えて忘れて来る奴があるもんか。そうだろう。うっかりするからこそ忘れてくる。...
 古来から、儕輩の群を凌いで名をなし、業を全うした、いわゆる偉人傑士と呼ばれる人々がおります。...

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