中村天風 一日一話

 本来人間は、この世に生れ出た時から、たえず真理に接し、真理の中で生きている。真理の中にいながら、この真理をなかなか自覚できないのは、心の中に雑念妄念があるためである。ほんとうに心が清い状態であれば、真理はすぐに発見できる。...
 真我といういものは、肉体でもなく、肉体を超越したものである。真我と肉体の関係は、肉体に衣服を着ているのと同様に、真我は肉体という仮衣を着けているものであると思量するとわかりやすい。...
 生命内奥の潜勢力という、人生の一切をよりよく解決してくれる偉大な力の発現は、人間を、人間の命のありのままの姿である心身一如の状態を確保するため、心身を統一して生活せしめれば、期せずして当然発現してくるのが、犯すべからざる真理である。...
 取り越し苦労を当然のことだと思う人は、自分の墓穴を自分で掘っている愚かな人なのであります。事のいかんを問わず、よしんば、ほんとうに心配することを心配した場合でも、心配しなくてもいいことを心配した場合でも、結果は同じなんです。...
 たとえば植木に肥料をやるにしても、必要だからといって、やたらに肥料をぶっかけても成長しません。植木が肥料を欲しがっている時にかけてやらなきゃだめなんです。...
 かりそめにも人生を考慮するに当たっては、自我というものを絶対に無視することはできない。それは、水を無視して波を論ずることのできないのと同様である。  水を離れて波はなく、波はまた水なくしてはたたないと同じく、われら人間は「自我を離れて人生なく、同時に人生を離れて自我はない」
 自己の生命と人生を自ら擁護するには、何はさておき、いかなる時も、自己の心の強さ、貴さ、正しさ、清らかさを、堅持することである。換言すれば、自己の「心」を微塵も汚さぬよう「心がける」ことである。...
 「悩み」という心理現象は、決して発作的に偶発するものではなく、必ずや、その心の中に、何かの取り越し苦労かまた、消極的の思考、すなわち憤怒、恐怖、悲観、憎悪、怨恨、嫉妬、復讐、憂愁、煩悶、苦労等々というような消極的感情情念が、心頭に発生する結果現象なのである。
 理性の判断するところのものは、ありふれた常識の判断や、軽率な感情本位の判断よりは、はるかに、論理的価値の高いものを多く保有しているには相違ない。...
 本当に愛するという気持ち=正しい愛情というものは、活きている「いのち」に対する尊敬という心理的現象がこれに相対するバロメーターをなすものなのである。...

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