中村天風 幸運をひらく 166の言葉

人生はどこまで行っても現実の世界ですから、やせ我慢や空威張りでは解決しないのです。現実の世界は、あくまで現実の理解を現実に実行してのみ、それは解決されるのです。ジンクス、易、縁起、そのほかの迷信的行為をする人は、自分に消極的な暗示をかけている。
だから、心のたて直しに努力なさい。いかなる場合があろうとも、尊さと強さと正しさと清らかさを失うまいぞってね。そのために、いいかい、自分の心の中に「悲観的なもの」「消極的なもの」を一切、入れないことです。
心の尊さと強さと正しさと清らかさが、万が万一にも失われてしまうと、心が弱くなる。すると、たちまちものの声に応ずるように神経の働きも弱まっちまうんであります。これが命を生かしている中枢の力でありますから、中枢力がボルテージをおとしちまったらば、命もたちまちものの役にも立たないことになるんですよ。
取り越し苦労を当然だと思う人は、何のことはない、自分の運命の墓穴を自分で掘っている愚かな人なのでありまず。
自分が自分の感情の荒波に巻き込まれて、のた打ち回って生きる人生に生きるぐらい、恥辱なことはない。これは自己冒涜です。
迷いがないと悟りがないんだよ。悪があるから善があるんだ。善があるから悪がある。そうだろ。迷いがないと悟れないんだ。迷いがあるから悟りってやつがあるんだ。
さびついた車は、回そうとして油を注いでも回らない。まず、さびを取ることである。そうしないと、苦痛や苦難をそのまま、いきなり自分の心のものにしてしまう。
「ああ、幸せだなあ、と思うようなことは、運命的にも、健康的にも、一度も味わったことがない。だからそう簡単には思えない」という人がいるならば、それは結局、心の態度が変わっていないからで、心の態度を変えない限り、思いたくとも思えない。 第一、思おうとする気持ちが出てこないのである。
あなた方は、自分が現在あるのは、あなた方の心の中で思っている考え方が、原因的なものを全然考えていないで、これは俺が蒔いた種じゃないと思っている。事の大小は問いません。自分が知る知らざるとも問わない。すべて人生の出来事は偶然に生じたもんじゃありません。アクシデントというものは必ず自己が蒔いた種に花が咲き、実が成ったものものなんです。
人生は人に頼るべからずということが厳粛な真理だと思いませんか。自分の生命、自分の人生は、どこまでも自分自身が守るべき義務があり、また責任のあるものだと思いませんか。

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