中村天風 幸運をひらく 166の言葉

例えば、肉体の手と手を握りあってみても、握り合っている以上に、幾ら密接させようとしても、そういうわけにはいかない。ところが、心と心は、まったくそうではなく、愛し合えば愛し合う程、どんなものにでも密接に二つが一つに融け合える点に、愛の心というものの尊さがあるのである。だから、何事に対しても、いつでも愛の心で対応していさえすれば、天地間の万物と期せずして融和が出来る。これは言い換えると、人間の心と宇宙の心と、一つになれるということになるのである。もっと判り易くいえば、宇宙の心と一つに人間の心がなれれば、ここに初めて宇宙の本体も本質も明らかになってくる。当然の帰結としてこの宇宙の心が「真善美」以外の何ものでもなく、そして同時に人間の心の本質もまた「真善美」以外の何ものでもないことがわかってくる。
お互い人間がこうやって生きているのは、一体何の力で生きているんだろうか、ということです。どんなあわて者だって自分の力で生きてるとは思わないでしょう。もし自分の力で生きているなら、時が来ても死ぬはずはないじゃないですか。いつまでも自分の力で生きておられるはずですし、現在あるがままの自分を保っていかれるはずです。
どんな些細なことでも感謝を先にして喜びで迎えたなら黄金花咲く爛漫たる喜びの世界になる
どんなことがあったって、現在感謝。いままでのように、すぐ不平不満を言うような、そんなケチな気持ちや心もちは、海の中なり山の中に捨てちまえ。来年こそやるぞ、来年こそやるぞ、なんて思ってると、五十年くらいすぐにたってしまって、あっという間に人生終わってしまうからね。
現在感謝というものが、本当に心の中にしっかりと持たれていれば、どんな場合でも、自分の心の中に曇りというものがでてこない。したがって、なんとも形容のできない、生きがいを感じて生きていかれる。
感謝するに値するものがないのではない。感謝に値するものを、気がつかないでいるのだ。事あるごとに、「ああ、ありがたい、ありがたい」で暮らしていいわけでしょ。何事に対しても、現在感謝。ああ、ありがたい。何に対しても現在感謝。
たのしい、おもしろい、嬉しい、という思いが心の中に生じた時ほど、朗らかな生きがいを人生に感じられる、ということなんです。そして、それがどんなに健康にも運命にも、はかりしれない大きな効果を与えるかわからない、と思いいたるとき、よりいっそうの貴い価値を感じる。
いかなることがあっても、喜びを感じ、感謝を感じ、笑いを感じ、雀躍りして喜ぶ気持ちになって、その一刻を過ごすということが、何十年来の私の習慣である。
だから私はいつもいう。お互い勇気づける言葉、喜びを与える言葉というような積極的なことばを使う人が多くなれば、この世は期せずして、もっともっと美しい平和な世界になる。
人間の気持ちは誠におそろしいものである。たとえ医学上からみれば助からないような病人の枕元に行っても、こちらが元気で積極的態度のときには、その人間の状態がずうっとよくなってしまうものだ。それで、どれほど危篤になっている人間を助けてきたかわからない。「さあ心配するな!俺が来たからもう大丈夫だから、いいか!俺が駄目だといったら覚悟しろ。俺が駄目だといわなければ大丈夫だから!」というとずうっと勇気が出てくるものです。

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