理性はあてにできない

 理性という心は、人間だけに与えられたもので、ものの善悪、是非、邪正、曲直というものを分別してくれる心です。

 昔の多くの人々は、理性だけを標準として、ああでもねえ、こうでもねえと考えて、心のもつれの一切を解決しようとする。また、そういう力を理性が持っているいるがために、人生の一切はこの理性に任せて生きることで、また生きてこそ一番安全だというふうに思い違いをしているんです。

 理性というのは、一日一分といえども、同じ状態でいないんです。つまり、昨日の理性と今日の理性は違うんですよ。よくあるだろ? おととい考えたことを、今日考えてみたら、ああ、あれよりこのほうがいいな、というふうに考えなおすことありゃしない?

 それは結局、理性というものは向上し、発達し、変化するからなんです。だから、今日、自己の理性で判断して、是なりと思ったことも、明日になって、さらい理性の発達にともなって、あるいはそれが全然反対に非となる場合だって往々にしてあるんですぜ。

 だから、変転変化極まりなき発達性をもっている理性のみを標準にして生きようとする計画は、狂っているコンパスをあてにして航海するよりまだ危険なんですよ。