同情するという悪い習慣

 病を心配している者、あるいは運命に泣いている者、恋に悩んでいる者があると、そこに行って、理由のない同情をして相づちを打つことによって、何か人間としての、お互いの交わりに対する義務のようなものを感じる人がある。「病のときなんか無理ないわよね、そんな病に。わたし感心しているのよ。あなたなんか、まだ気に掛けないほうだわ。痛いでしょう、つらいでしょう!」なんて言葉が礼儀だと思っているが、それは全く毒汁をなすりつけ合っていることだと気がつかないんだ。

 人々はそういうことを考えないで、何でも、心配や悲観のなすりつけ合いをすることのほうが、同情的な、つき合いの豊かな人間のように思ってしまう。そして、悪い習慣を悪い習慣と気がつかない。運命共通の通有性のように間違えて考えてしまうと、人生の光明は、ますますその光を衰えさせて、結局は闇になるだけのこと。

 本人の運命に対して、本当のまごころから目を覚まさせてやる努力をする人こそ、尊い存在だと言いたい。暗闇のなかに目隠しをして飛び込んで暴れている人間を、そのうち明るくなったら目が覚めるだろうというふうに見ていたら、これは無理ですよ。早く窓を開けて明るくしてやって、目隠しを取ってやらなければ。