凡人、真人、至人

 普通の人間は、自分の嫌いな人、憎らしい人、妬ましい人、恨めしい人を、自分に近づけないで、なるべく排斥することでもっていいと思っている。

 「あの人大嫌いよ、あんなもの嫌よ」と言ってるね。「どうも、あの人、好かない」と言ってるだろう。そういうものを余計にもっているほど凡人というんだぜ。

 自分に親しみを自分のほうから感じせしめる人が自分の周囲に多いか。本当に心から親しみを感じる人が極めて少なく、どいつもこいつもみんな憎らしい奴ばかりではないか。それによって、凡人か、凡人でないか、本当の淑女か、偽物かということがわかる。

 真の人間として生きる生き方を知って、真人になれば、たとえ自分の心に瞬間、憎らしいとか嫌だと感じるものがあっても、そういう人を決して退けない。進んでそういう者と和やかに親しみを続けていく気になるが、ただその人の心にこっちが与してはいかない。つまり、よくない方面にはけっして与さない。それが真人だ。それだけ清濁併せ呑んで、その人を排斥しない。

 さらに、真人から進んで至人になると、仲良くして、与しないばかりでなく、常にこれをよいほうへと導くことに努力する。