情味は心で味わう

 多くの人の特にいけないことは、生活の中の情味ということを、物質方面にのみ求めることである。生活の中の情味を味わうというのは、心の問題なので、物質の問題ではないのである。いかに豊かな収入を持ち、満ち足りた物質を得ても、心が、その生活の中の情味を味わい得なければ、あるも無きに等しい。世俗のいうところの、金持ち貧乏とか、位倒れとかいう言葉は、こういう事実の形容詞なのである。これは深く考えなくとも良識のある人ならすぐに理解できるはずである。

 たとえば、客観的に、どんなに恵まれているように見えている人でも、その人が、その境遇に飽きたらず、満足感を感じていないならばどうであろう? これに引きかえて、仮に客観的に恵まれていない、不幸な人に見える人といえども、一日の仕事を了えて、たとえ乏しい食事でその空腹を満たすときでも、それが自分の尊い労役の花であり、心身を働かした努力の稔であると、無限の感謝で考えたらどうであろう?

 金殿玉楼の中にあって暖衣飽食、なおかつ何らの感謝も感激もなく、ただあるものは不平と不満だけという憐れな人生に比較して、本当に、人生のいっさいを感謝に振り替え、感激に置き換えて生きられるならば、はっきりとそこにあるものは、高貴な価値の高い尊い人生ではないでしょうか?