気高い強さ

 どんな文豪のつくった小説でも戯曲でも、すぐれた人というのは滅多に中心人物に出てこないだろう。もしも中心人物にすぐれた人が出てくりゃ、小説や戯曲があまりに平和すぎて、事件がなくなっちまうわ。涙にむせんだり、血を流したりするようなことがなくなるよ。だから、小説家は、なるべくひん曲った人間を主人公にして、テーマを豊富に作り上げることが秘訣だと思っている。

 そこで、さあ、すぐれし人、言い換えると、いわゆる昔の人が言った、すべての真理を知っている聖賢(聖人と賢人)の周囲には、不運というものは絶対にこないんだ。こないというより、むしろ発生しない。

 そこで知らなきゃならないのは、この聖賢というのはどういう人なんだろう。それは、心が、単に積極的であるばかりでなく、本当の心の強さのなかに「気高さ」をもっている人のことなんだよ。

 はてな、心のなかの気高い強さというのはどういうんだろうと思うだろう。それは結局要するに、卑屈にやせ我慢で強さをつくろうとするのではなくて、淡々として、少しも気張らずに強くなり得ているのを、気高い強さという。