思いやり

 だれにでもある心なんだからね、思いやりのやさしい心っていうのは。その心で一切の物事に接する習慣をつけろ。その尊い心の報われが・・・・・・報われなんて求めなくたっていいんだけど、即座にひとりでにくるよ。これという形や色の見える物質的な報われじゃないよ。「思いやりでやったけど、一銭も貰えねえ」、それじゃあ駄目だよ。

 思いやりという気持ちは、誠と愛の気持ちだから、それで人に接して、物に接するとき、自分自身の心に感じる快さ、嬉しさというものは、もう形容できません。そうだろう。「ああ、ありがとうございます」といって喜ばれたときに、「けっ、俺は損しちゃった」と思う人ある?ひとが喜んでる姿を見て腹が立つ奴があったら、そら鬼だよ。

 キリスト教にもあるね、恵まれたときよりも、恵んだときのほうが喜びが大きいと。すくわれたときより、救ったときのほうが一段と嬉しい。これはお医者さんなんかがしょっちゅう経験していることでしょう。「先生、おかげで治りました」って言われると、治った者の喜びよりも、治した自分の喜びが何とも言えませんわね。

 とにかく人の世のため、誰でも誠と愛というものが出てくる思いやりの状態のまんまで生きてごらん。ただ道義上の理念だけでなく、それが人間が生きる当然の生きカだというふうに。