まごころの強さ

 たとえば、ちょっと一杯の茶を出すのでも、「ハイ」と返事をするような仔細な行為でも、そのとき、何の報償をも念頭に置かず、すなわちその人に気に入られようとか、あるいは、好感をもたせようとかいうような気持ちでなく、そこに一点何も求めるものがなく、純一無雑な「心」でそれが行われるとき、その行為から、形容のできない温かいものを感じる、それはすなわち「まごころ」というもののもつ尊さの感応である。

 と同時に、いま一つ理解しておくべき重要なことは、「まごころ」で行われる行為には絶対的の強さというものがあるということである。絶対の強さのあるというのは、そもそもいかなる理由があるのかというと、要約すれば「まごころ」という「心」の中には、期待というものがないから、当然失望といいうものがないからである。

 多くいうまでもなく、失望というものは、ある期待が裏切られたときに発生する相対的心理現象である。報償を行為の対象とすると、その報償は、当然「期待」というものが付随するから、その報償が期待通りであれば何らの失望は生じないが、そうでないと、すぐさま失望の気持ちが発生する。すると期せずして、その行為にムラがでてくる。したがって当然その強さというものが、失われがちになるのである。すなわち、これが何をなすにも、報償を超越してなすべしと、力説するわけなのである。