理解と自覚

 理解と自覚はまったく違う。理解というのは、ただわかったというだけであり、自覚というのは、本当に自分の魂に受け入れたことなのである。どうも多くの人々は、理解というだけで、感謝したり、あるいは非常に大きな法悦と感じたりするような馬鹿馬鹿しいことを、大変価値のあるように考えている。

 一番先に必要なことは、諸君の心の中に存在して、悩ませ、迷わせ、悶えさせている雑念、妄念というものを除き去らないかぎりは、どんなことを聞いても、わかったということが、直ちにわかったということにはならない。

 自覚というのは結局、その雑念妄念を払い除けて、自分の知識の中に受け納めたものでなければならない。そうすれば、病が起ころうと、どんな運命に見舞われようと、決して自分の心の強さというものを弱める気づかいはない。

 まことに人生真理の自覚ということは、人生を不調和に陥れたり、または人生を破壊する凶悪な運命から、魔の手を防ぐくろがねの楯のようなものである。