敵は恩人

 日本の昔の武士と言うものは、大義名分に生きることを人生のモットーとしておったために、どんな場合があっても敵を愛していた。敵を憎むという行為をけっしてしなかったんだ。

 つまり、早い話が、自己の存在は相対的なものであってはじめて、その存在を確保できるという、大変難しい話だけれども、物理の反射作用と言うものが自己存在を意識的に確実にせしめる。

 もっとやさしい言葉でいいましょう。相対するものがいなかったら、自分は孤独ですぜ。孤独だったら、自分の存在というものの価値は、誰が一体これを定めてくれるかっていうことです。

 剣豪宮本武蔵が日本六十余州、ただ一人の剣客だと言われるに至ったのも、佐々木巌流小次郎という強い相手があってこそでしょう。そうすると、武蔵の強さを知らしめた小次郎は、なるほど敵対の言葉をもちうると同時に、武蔵にとっては、武蔵の強さを証明してくれた恩人になりますよ。こういうことを考えてみたときに、これをただ単に、そうした力と力との勝負のことと考えちゃいけないのよ。

 人生の出来事のすべてに対しても、自分の人生の前にあらわれるものは、みんなこれは、自分というものの価値認識に必要な、相対的な尊いものだと、こう考えるのが一番いいんですよ。