他動的でなく、自動的に

 本当の幸福というのは、人生がより良く生きられる状態に自分ですることなんです。自分でしないで、ほかからしてくれることを待ってるかぎりこやしないよ。自分の現在の生活に自分の心がまず満足しなきゃいけないんだよ。

 つまり、自分の生きがいを感じる状態をもっと気高いところにおかなきゃいけない。美味しいものでも食べて、いい着物着て、面白いことでもしたら生きがいがあると、こう思うところに、本当の生きがいはないんだけどもねえ。

 ちょっと難しいことを言わせてもらうが、喜びの生活の主題は、感覚的享楽を、精神的にも肉体的にも善なるもので肯定することにあるんだよ。それを他動的じゃなく、自動的に。

 だから、私はとらわれた道徳観を排します。昔からある今までの。理屈をどんなにもっともらしく言っても、人間の本質を正しく考えるときに、自分の心が尊く感じたときが一番尊いんだから。はたから、あれは尊いんだと言われても、自分が尊いものと感じなかった以上は尊くないんだからねえ。それが本当の生活価値を認識したことになるんだ。

 そういうふうになると、今度は人間の生物的本能である感覚的享楽も非常に気高いもので制限されるようになりゃしない?