理論と実行

 とかく、特に理智階級者は、理論探求を先にして、充分理屈が納得されてからでないと、方法の実行に努力しないという傾向が顕著である。もっともそれなどは、まだよい方で、なかには理論批判だけに没頭して、方法の実行をなそうとしない人さえ往々にある。

 万一そういう態度をとると、いつまでたっても本当の自覚を把握することができないこととなる。いわゆる「学んでいよいよ苦しみ、究めていよいよ迷う」ということになるからである。いたずらに理論理解を本位とすることは、労多くして功少なしの結果に陥るから、その点くれぐれも注意されたい。

 そもそも「行」とは何かというと、「人の人としての働き」ということなのであるから、行修とか修行とかいうことを、特別のことのように思うのは大間違いなので、そう思うとただ単なる方法一つでも、行うにすこぶる億劫を感じることになる。

 要は、一切の手段手法を、日常生活のなかに織り込むことである。否、方法のすべてを、実際生活そのものと為すことである。そしてはじめて、本当に行ずることとなり、人の人としての働きを為したことになるのである。