反省とは自発的にするもの

 そもそも反省ということは、その人自身が、自己の心の成り行きや推移に対する現在状態を、その人の本心良心に反映せしめて、熟考する心意を指していうものである。したがって、反省という心意は、厳密にいうなれば、どこまでも自発的のもので、決して他発的なものではないというべきである。

 かるがゆえに、この特殊の心意識の発動を、第三者から促すことは可能であるとしても、いかなる権威者といえども、他人にこれを強要する権利は絶対に与えられていないというのが真理である。

 しかるに、事実に照らしてみると、往々にそうでないことを、しばしば見聞する。そして、その強要に応じないと極度にその人の悪口を言い、盛んに憤慨激怒する人がいる。その上さらに、それが、感情や理性の判断のみで考えられたことであるのに気づかずに。

 要するに、その原因は、難しくいえば「人生は現実と精神との中に、その思索を振り向ける省察(反省)の深さによって、その正邪の結論が決定される」という絶対真理を自覚していないがためである。

 西哲の言にも「すぐれた人は、自己を責めて、人を責めない」というのがある。私がしばしば揮毫する六然訓句の中にも、「厳然自粛」というのがある。いずれも、その真意相通ずるものであるのを熟慮されたい。