自己の本体

 心や肉体というものはうわべだけで考えると人間そのものであるかのように見えるが、実はそうではなく、わかりやすく言えば、心や肉体というものは、人がこの世に生きるのに必要ないろいろの方便を行うための道具なのである。

 およそ人間の生命のなかには、心および肉体よりも一段超越した、しかも厳として存在する実在のものが一つあるはずである。

 試しに考えてみるとよい。諸君が諸君の心や肉体の存在を意識的に自覚したのは、おそらく生後三年か四年の後であったであろうと思惟する。そこであえて自らに尋ねてみることである。自分自身、心や肉体の存在を意識的に自覚しなかった当時、諸君というものは存在していなかったかどうか? 言い換えれば、諸君の生命は存在していなかったかどうかである。

 我々の生命は自分自身や肉体の存在を意識的に自覚すると否とに関係なく、既にその以前から立派に存在していた。

 すなわち、我々が、各自の心や肉体の存在を自覚しなかった以前から我々の生命を確保していたものこそ、我々の真我=自己の本体で、それが、とりもなおさず真正の自己なのである。